1 2 3 4 5
まちBlog 野辺地 勝手に好評奮闘中!! 町民参加型で、わいわいがやがや。 さあ、あなたも何か、書いて書いて!! 書くのは野辺地のことだけよ・・・
 
ちら見ポイント1299990チラッ
野辺地町 愛宕公園イメージ動画
▼野辺地町が盛りだくさん!
 
▼ご来店の際は、お電話でご予約を…
 
▼ソーラン節の元祖がここに!
 
▼野辺地町の野鳥図鑑
 

野辺地町立図書館

    青森県警察のHP

    なんでも検索

    携帯QRコード

      http://www.noheji.jp
     
     
     

    正当なCSSです!

     
     

    「まちの風景」について

    野辺地町は、山あり、海あり、川あり、とても良いところ。
    そんなすてきな町の風景が、Blog会員から投稿されます。
     

    まちの風景

    まちの風景 >> 記事詳細

    2013/02/21

    野辺地町は斗南藩だった?

    | by:佐藤(か)
    出張で新幹線に乗車していた時のことでした。
    新幹線にはトランヴェールという月間誌が置いてあります。
    興味を引く記事は滅多に載っていないのですが、
    この日はちょっと違いました。

    2012年10月号のトランヴェールの記事でした。


    野辺地町が「斗南藩(となみはん)」だったという、
    衝撃的な記事を見つけてしまったのです。

    歴史に詳しい人なら、常識すぎる内容かもしれませんが、
    私にとっては、かなりセンセーショナルな内容でした。
    「誰も教えてくれなかったぞ!」と、先生達の顔を思い出しながら、
    帰ったらいろいろ調べてみようと思ったのです。

    ページの一コマ。形状から野辺地町が斗南藩だったことが分かります。

    ■野辺地戦争(明治元年 1868年)
    野辺地町の港湾近くに弘前藩士の墓があります。
    ここに墓があること、弘前藩と戦争をしたこと、野辺地戦争という単語は
    知っていますが、その背景などはまったく知りませんでした。
    調べた結果を完結に述べると、野辺地戦争とは、
    明治新政府軍の弘前・黒石藩と旧幕府勢力の盛岡・八戸藩との戦いのことで、
    墓が示す通り一時は、弘前藩に多数の死者が出たものの、
    結局、旧幕府勢力が降伏し野辺地戦争の終結を迎えるのでした。
    野辺地戦争は戊辰戦争が派生した戦争だったようです。

    ■戦争の後(明治2年 1869年)
    戊辰戦争の責任を取らされる形となった会津藩は、福島の領地を没収され、
    かわりに与えられたのが、旧南部領(現在の青森県の東部側)だったのです。

    翌、明治3年より、約4500名の会津藩士が旧南部領へ、
    移住のためやってきます。その移住先の領地を「斗南藩」と命名したのでした。
    3万石の領地とも言われた旧南部領でしたが、実態は7千石しかない領地でした。
    会津藩士は、かわりに放牧などをして、生活基盤を作っていくのです。
    斗南牧場というのはその時の名残のようです。

    ページ内には、幕末の会津藩の様子が書かれています。

    ■廃藩置県(明治4年 1871年)
    斗南藩として石杖を築きはじめた会津藩士たちですが、
    さらなる歴史の変革が襲いかかります。
    廃藩置県により斗南藩から斗南県へ、さらに同年中に、
    弘前・黒石・七戸・八戸らと合併し青森県と置県されてしまいました。

    廃藩置県となったことで、さまざまな制約が解かれ、
    移住してきた会津藩士の多くが、故郷の地へ戻って行きました。
    もちろん、青森県を新たな故郷と決めて永住した藩士もいたようです。



    トランヴェールの記事は、戦争の渦中に巻き込まれた会津藩、
    そんな運命に惑わされることなく、この青森で屈強に
    生き抜いた会津藩士を紹介する記事でした。

    雑誌に記載されていた通り明治初期に確かに野辺地町は
    斗南藩だったということがわかりました。
    しかし、戊辰戦争後の混乱や廃藩置県の実施、
    その間約1年ちょっとという短い期間だったこともあり、
    野辺地町が斗南藩だったという事実は多くの人にとって、
    重要なファクターではなかったのかもしれません。

    ひとまず、私の大いなる疑問はこれにて解決されました。

    兎角、青森県人は我慢強いと賞賛されますが、
    もしかしたら会津藩士のおかげかもしれませんね。

    <後記>
    NHKの大河ドラマ「八重の桜」は、動乱の幕末を駆け抜けていく
    会津藩士の物語です。先日、三沢市先人記念館から、
    ヒロイン新島八重の兄・山本覚馬(かくま)の写真が見つかった
    ニュースを聞くと、確かに青森が所縁の地であったことが伺えます。


    07:58 | 投票する (6) | コメント(0)