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    常夜燈と石畳のルーツ

    常夜燈と石畳のルーツ >> 記事詳細

    2010/11/07

    常夜燈と石畳のルーツ 野辺地町本町旧石畳

    Tweet ThisSend to Facebook | by:佐藤(か)

    野辺地町本町旧石畳
     

    1.石畳ルーツ探しの発端と感心
     
    野辺地町郷土史家である高松鉄嗣郎氏が「なぜ、野辺地町に花崗岩の石畳があるのか?」と産出場所への疑問を持ち始めます。 ちょうどNHKで放送されていた、石のフェスティバルという番組を見た事が発端となり、香川県庵治(あじ)町長へ問い合わせを行います。 この時点では「庵治石は高価な石なので石畳に使う事はないのでは?」との回答でした。(庵治町は2006年1月10日に高松市へ編入合併し消滅)
     
     

    2.高松鉄嗣郎氏と江渡正樹氏との出会いと調査の契機
     
    この頃、高松鉄嗣郎氏と江渡正樹氏が出会い、江渡氏が高松氏から石畳ルーツの調査についての本格的調査の示唆を受けます。 また、杉山繁夫元野辺地町助役から、調査の提言と自宅の庭にあった旧石畳の提供を受け、江渡氏の本格的調査が始まりました。
     

     
    3.江渡正樹氏の調査開始
     
    提供された旧石畳の破片を、庵治町石工団地協同組合へ送付して調査依頼を行います。 そもそも庵治町への問合せというのは、旧石畳の石が庵治石に非常に似ていた為です。 江渡氏は庵治町を訪問し、石工団地協同組合の調査結果を受け取ります。 結果は、「小豆島大部(しょうどしまおおべ)の石では?」という回答でした。 庵治石はキメが細かく高価な石であるため、石工職人の目からは旧石畳との違いは明らかだったようです。
     

    石工団地協同組合の回答から、今度は、小豆島土庄の小豆島石材工業協同組合を訪問し調査をお願いします。 ショウセキ工業株式会社、宮西修石材部長の調査では、「大部の石ではなく小海(おみ)の近く、見目(みめ)の石」との回答でした。 また、田村石材専務の回答も「小海の石」、西山石材社長も「小海の石」との回答でした。 どうやら、旧石畳の石は「小海の石」のようです。
    (小豆島は、香川県の島で小豆島町、土庄町の2町からなり、小説「24の瞳」の舞台。)

     
     
    4.小海里づくり協議会長 野辺地愛宕公園訪問
     
    調査したのは石の破片であったため、実際に現物の石を見るべく、小海里づくり協議会長である橋本昭一氏が野辺地町を訪問され、愛宕公園の階段(旧石畳)を観察しました。 橋本氏の結果も「小海の石」との回答でした。 しかし、これまでの調査は当事者間の調査である為「小海の石」と断定するには、さまざまな根拠が必要でした。

     
     
     
     
     
     
    5.石畳の岩石学的検討

     
    弘前大学大学院理工学研究科、柴正敏教授に旧石畳の石と小海の石を比較調査して頂いています。
     
    【野辺地町石畳・花崗岩】
    ・暗色包有物が含まれる。
    ・カリ長石がピンクないしオレンジ色を帯びる。
    ・クロットがはっきりしている。
    ・鉱物構成のうち、石英:カリ長石:アルカリ長石=1:1:1の比率に近く花崗岩中のアダメロ岩に近い。
     
    【小豆島小海・花崗岩】
    ・クロットがやや少ない。
    ・鉱物組成としては、野辺地町石畳・花崗岩とあまり変わらない。
    ・カリ長石に淡い色がついている。
     
    調査の結果は、上記のような違いはみられるものの、岩体内の変化の範囲内と考えられ、両花崗岩は同一岩体からの産出と考えられるとの調査結果でした。
    この結果は、岩石学的には同じ石と判断しても良いものでした。

     
     
    6.大坂城天守閣館長の指摘
     
    さらに、大阪城天守閣館長の中村博司氏にもご意見を伺っています。

     
    江戸幕府は、大坂夏の陣で落城した大坂城の再建を始めます。 この再建時に必要だったのが大量の石材であり、その供給地となったのが小豆島を始めとする九州地方でした。 特に小豆島は天領(江戸幕府直轄)とされ、他の石切丁場とは一線を画していました。 小豆島の風土記では、文政5年に残石が400個ほどあり、これが後の、小海 道の駅・大坂城残石記念公園の石となったと記載されています。

    これらの歴史的背景などから、大坂城再築石垣と野辺地町石畳は共に小豆島小海産の同一花崗岩であり、兄弟石であるといえる。 …との指摘を頂いています。

     

     
       
    7.野辺地湊へ
     
    小豆島の石材は天領だった為、大坂城再築後に現地に残った残席400個は、解体もできず、移動もできないまま、農民達の生活の妨げになりました。 この残石は、嘉永~安政時代に払い下げになります。 この時、野村治三郎が払い下げになったこの残石を購入し、野辺地町へ運んだようです。
     

    薄く石畳状に加工され野辺地へ運ばれた小海の石ですが、当時の本町・下町の通りの一部分に敷かれました。 しかしその目的は分かっていないようです。 明治天皇は、明治9年に東北を御巡幸されますが、文献などからこの時には石畳は敷かれていない事が分かっています。 また、同様に明治12年には敷かれていた事が分かっているので、この期間何らかの目的(舗装的な実験?)として運ばれ敷かれたと思われます。


    22:39 | 石畳のルーツ