1 2 3 4 5
まちBlog 野辺地 勝手に好評奮闘中!! 町民参加型で、わいわいがやがや。 さあ、あなたも何か、書いて書いて!! 書くのは野辺地のことだけよ・・・
 
ちら見ポイント1270758チラッ
野辺地町 愛宕公園イメージ動画
▼野辺地町が盛りだくさん!
 
▼ご来店の際は、お電話でご予約を…
 
▼ソーラン節の元祖がここに!
 
▼野辺地町の野鳥図鑑
 

野辺地町立図書館

    青森県警察のHP

    なんでも検索

    携帯QRコード

      http://www.noheji.jp
     
     
     

    正当なCSSです!

     
     
    ありがとう睦鶴 >> 記事詳細

    2009/03/10

    閉鎖の「睦鶴酒造」解体へ

    Tweet ThisSend to Facebook | by:管理者

    当主の急逝により事業が継続できなくなった野辺地町の蔵元「睦鶴酒造」が、解体を前に今月いっぱい公開されている。本来なら二月は仕込みに忙しい時期だが、二年間、釜場に火が入らなかった蔵は今、ひんやりとしている。 公開初日の二十日に訪れた元従業員からは「実家がなくなるような思い」と、あらためて閉鎖を惜しむ声が漏れた。 (舘花光秀)

    県酒造組合の資料によると、同酒造は一八八七(明治二十)年創業。 「睦鶴」「地吹雪」の銘柄で親しまれた。 利酒(ききざけ)師の資格をもつ同町の鷹場秀一さん(五四)は「仕込みに使う水が良く、特に地吹雪はすっきりとした辛口で、春先の山菜のような旬に香りがした」という。 同酒造を経営していた川村家の文書には、「川村酒造店」を七一(同四)年に創業、睦鶴は一九一五(大正四)年に商標登録したとある。 詳細ははっきりしないが、同酒造店から続く睦鶴酒造は約百四十年の歴史があるとみられ、海運の要衝として栄えた同町の、中心街の顔の一つだった。

    2年前当主急逝

    二〇〇六年十二月杜氏(とうじ)を努めていた社長が四十六歳の若さで急逝。 町の若手商店主ら有志が蔵を残せないか勉強会を重ねたが、建物の老朽化や酒造免許の問題などがあり、断念せざるを得なかった。 公開は、同酒造の土地・建物を現在所有する同町の葬祭業「博善社」が、有志らの要望に応えて行った。 店舗の正面から入ると、酒米を蒸す釜場に通じ、奥に仕込み蔵や麹(こうじ)室などがある。 吟醸酒用だろうか、精米所の壁には「むつほまれ55%」などと精米歩合を示す書込みが残る。

    往時を懐かしむ

    階上町出身で、十七歳だった一九五七年から十八年間、営業担当として住み込みで働いた工藤幸三さん(六九)は「清酒が主流で造れば売れる時代。
    夜中に注文が舞い込むこともあった」と、往時を懐かしむ。 折れた太い梁(はり)、つぶれかかった屋根…。野辺地町で酒店を営む工藤さんは、解体を前に二十三年ぶりに蔵に入り「自分の実家のような思い入れがある。なくなるのは悲しい」と繰り返す。 五三年から同酒造で働き、野辺地町民となった岩手県矢巾町出身の山田利夫さん(七二)は「朝三時半に起床し、昼にご飯を食べて二時まで休む。夜は五時ごろご飯を食べ、また八時ごろまで仕事をした。 思い出がなくなるようで切ない」と寂しさを隠せない。 蔵の整理中に、ガラス製の一斗瓶が百本近く見つかり、駅前商店会に寄贈された。十四日、まちおこしの催しでランタン代わりに一斗瓶に明かりをともすと、何ともいえないレトロな雰囲気が漂った。 同商店会事務局で町観光協会長に三上山一二さん(六二)は「これからもイベントなどで使い、睦鶴に名を伝えたい」と話す。

    (2009年2月24日 東奥日報 交差点記事より 抜粋)


    00:00