1 2 3 4 5
まちBlog 野辺地 勝手に好評奮闘中!! 町民参加型で、わいわいがやがや。 さあ、あなたも何か、書いて書いて!! 書くのは野辺地のことだけよ・・・
 
ちら見ポイント1300070チラッ
野辺地町 愛宕公園イメージ動画
▼野辺地町が盛りだくさん!
 
▼ご来店の際は、お電話でご予約を…
 
▼ソーラン節の元祖がここに!
 
▼野辺地町の野鳥図鑑
 

野辺地町立図書館

    青森県警察のHP

    なんでも検索

    携帯QRコード

      http://www.noheji.jp
     
     
     

    正当なCSSです!

     
     

    常夜燈と石畳のルーツ

    常夜燈と石畳のルーツ >> 記事詳細

    2010/11/07

    常夜燈と石畳のルーツ 野辺地常夜燈

    Tweet ThisSend to Facebook | by:佐藤(か)

    野辺地町常夜燈
     

    石畳の調査の過程で常夜燈もその歴史が分かってきたようです。

     
    1.小海里づくり協議会長 野辺地常夜燈公園訪問

    小海里づくり協議会長の橋本昭一氏が野辺地町を訪問された際、常夜燈の石も合わせて観察しています。 どうやらこちらは、「土庄町の石ではなく庵治石かもしれない」との観察結果でした。

     
     
    2.常夜燈の刻字

    常夜燈には、下記の文字が刻まれています。(常夜燈公園に出かける機会があれば、一度観察してみてください。)
    ・正面 常夜燈
    ・裏面 金毘羅大権現
    ・側面 文政十丁亥 正月吉良日
    ・基礎石最上段 施主 野村治三郎 世話人 橘屋吉五郎

     

     
    裏面に刻まれた「金毘羅大権現」とはいわゆる金比羅様であり、当時(~現在)船乗りの間で信仰されていました。 香川県琴平町の金刀比羅宮を総本宮とし、日本全国で金毘羅宮として祀られています。 側面の「文政十丁亥」とは、文政十年、丁亥(ていがい)の年の意味です。 丁亥とは、十干十二支の表現で24番目になり、良く知られている物で「甲子園」の「甲子」もこれに当たります。

     
     
    3.土庄町・庵治町等での調査
     
    江渡氏は、橋本氏の結果を受けてさらに調査を継続します。 土庄町・庵治町での調査では、庵治石ではなく塩飽(しわく)諸島(広島、本島など)産の石「青木石」の可能性がある事がわかりました。 海上安全祈願のため金比羅信仰が強いこと、丸亀市では金比羅信仰が強い事、石工が多く燈篭作りが盛んである事などがわかりました。 「北郡野辺地村湊裏御台場分間絵図面」では、水神宮前に石灯籠1基と記載されています。 これが現在の常夜燈の可能性が高く、石灯籠を灯台として利用するのは全国各地でもよくみられることです。

     
     
    4.丸亀市広島町での調査
     
    丸亀市での調査では、常夜燈に刻まれていた文字が役に立ちます。 「橘屋吉五郎」とは、香川県丸亀市広島の廻船業者、尾上吉五郎であることがわかります。 橘屋とは尾上の屋号でした。 江渡氏は調査の過程で、金毘羅街道の中府大鳥居に、「野村治三郎」と、「尾上吉五郎」の名がある事を発見します。 また、尾上吉五郎の子孫宅へも訪問し、中府大鳥居を寄進した記録が資料で残されている事、尾上家は屋号として「橘屋」を使用していた事を確認しています。 一方、常夜燈の石は、青木石材共同組合筒井政人参事により「青木石」と判定されました。

     
     
    5.尾上吉五郎と野村治三郎の友情
     
    常夜燈を野辺地湊へ運ぶ際、相当な運賃がかかったはずですが、尾上吉五郎はただで運んだとされています。 これは、野村治三郎(北前船航路の商人たち)が中府大鳥居を寄贈した事のお返しなのかもしれませんが、単なるやり取りだけではなく大きな友情を感じることができます。 きっとお互いの安全と商売繁盛を祈願したことでしょう。 それにしても、交通の不便な当時、青森県と香川県をまたにかけたスケールの大きさには感服します。
     


    22:34 | 常夜燈のルーツ